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福島県農業史から うさぎ

◎ 福島県農業史4【各論Ⅱ第五章 うさぎ】から抜粋

1 沿革

〇家兎の祖先は、一般にうさぎといわれるもの

 のなかの「アナウサギ」と呼ばれるもので、

 野うさぎ、山うさぎなどといわれるものとは

 属が違うものである。…明治四~五年頃は輸

 入兎の熱狂時代で、フランス、アメリカから

 の船が着くたびに競ってうさぎを買い求め、

 投機的に100円、200円という大金を投

 ずるようになった。このため東京府では明治

 六年兎取締令を出して、飼育家兎の届出、兎

 市の禁止等を行った。…

〇アンゴラ種も昭和に入って飼育羽数が増加し

 てきた。農村不況の時期でもあったので飼育

 熱が急速に高まり、種兎一番(つがい)10

 0円~200円というようなバカ騒ぎとなっ

 た。昭和六年アンゴラ投機警告を発し、そ

 の結果、兎の価格は暴落、多くの被害者を出

 して騒ぎはおさまった。昭和七年頃から兎毛

 の輸出が行われるようになり、… 農林省も

 農家の副業として飼育を認め、外貨の獲得に

 大きな役割を果たすようになった。

〇福島県におけるうさぎは、…大正九年兎毛皮

 の海外輸出が始められるとともに、農家の副

 業としての養兎が取り上げられるようになり

 …県は、大正十三年に県下六か所に種兎飼育

 所を設けてうさぎの増殖がはかられた。大正

 十四年に初めて奨励予算、100円を計上…

 副業養兎を奨励した。

〇当時の兎の種類は、白色種の他に有色種とし

 て、ベルジアン種、チンチラ種、レッキス種

 等が飼われていたが、その後、兎毛皮輸出等

 の関係もあって、漸次白色種が主体となって

 いった。当時の飼育羽数について確かな統計

 はないが、十五万羽内外は飼われていたもの

 と推定される。

2 飼養の変遷

〇昭和初期の不況時代から、うさぎは広く農家

 に飼育されるようになり、昭和九年には陸軍

 被服本廠のうさぎ毛皮現地購買が始まった。

 昭和十年には農林省の補助を受けて県下三ヵ

 所に種兎場を設置、…昭和十二年に飼育羽数

 は四十万羽を突破した。

〇昭和十三年には郡山養兎組合(組合長・常

 粂治)が中心になり郡山市麓山公園に養兎

 霊碑が建立された。昭和十四年には、飼育

 数48万羽(全国では660万羽)と戦前

 後を通じて最高となり、兎毛皮の軍納入は

 00万枚を突破した。

 〇戦後兎毛皮は重要輸出品となったので、再び

 増産の機運となり、昭和21年には兎毛皮業

 者が県兎業組合を結成、うさぎの飼育を呼び

 かけた。

 〇昭和28年には毛皮用種、アンゴラ種双方の

 養兎組合関係者によっ て、福島県養兎組合連

 合会と県種兎登録協会が創立され、日本白色

 種と日本アンゴラ種の登録事業が開始され、

 事務所を県畜産課において、うさぎの改良が

 積極的に進められた。

 〇昭和37年に県は集落養兎の事業費120万

 円を予算化し、白色種は二本松市、白沢村、

 アンゴラ種は月舘町、保原町の四集落を指

 定、補助金を交付して養兎による集落活動

 推進を指導した。…このころが戦後の本県養

 兎業のもっとも盛んであったときで、その

 飼育羽数は三十二万羽と推定される。

 〇昭和三十八年には福島県養兎事業記念碑建設

 会によって、本県養兎発展の実績を記念する

 ため、福島市信夫山公園に養兎記念碑が建立

 された。

 〇このように発展してきた養兎も、昭和四十年

 以降は貿易自由化による安価な家兎生産物の

 輸入によって飼育羽数は急速に減少していっ

 た。

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