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​会津山村道場の教育

    当時の職員
   中・鈴木喜七道場長
 左・酒井経済部長 右・常松粂治講師

​山村の中堅人物を養成するため、昭和12年に田島町大字糸沢(現・南会津町)に県営の山村子弟教育施設として設置された。養豚・養兎・養鱒などに意欲的な実験をすすめたり、栗その他の果樹も試み、特色を発揮し、すぐれた卒業生を送り出した。昭和27年に会津伝習農場となり、同46年閉鎖、町営野外活動センターとして施設を利用している。(田島町史編纂室)
​*現・うさぎの森オートキャンプ場

修練生の一日

修練生は長期生、短期生、研究生など三種類のコースがあり、長期生は一ヵ年、短期生は二週間から三週間の期間としている。修練生の定員は三十名であるが、創立年度(昭和十二年)の実数は二六名であった。修練の科目は農林業、畜産実習、修身及公民、体操及武道教練など一年間の修練時間は三三五十時間であった …
寄宿舎の一日は、朝四時の起床からはじまる。神社礼拝、国旗掲揚、やまとばたらきなどの朝の日課が終わると五時三十分に朝食となる…
昭和初期の農村恐慌対策として、農村の中堅人物を養成して経済復興を図るため、大規模な施設・設備が投じられ、着々と成果を挙げてきたが、昭和二十年の終戦後は、塾舎教育による修練の道場から、農業改良普及事業の場として進められ、同二十五年には「会津経営伝習農場」となった。…(田島町史より)
 
​上下いずれも田島町史編纂室

学習内容や活動内容から見ると、福島県喜多方市出身の蓮沼門三が主唱し渋沢栄一がバックボーンとなり、当時の全国の青少年教育の支柱となった「修養団」運動の精神を色濃く受けた教育施設であったものと思われます。
同様の施
設は、福島県矢吹町に昭和10年に福島県立修錬農場が設置されました。

 会津山村道場は現在「うさぎの森オートキャンプ場」として全国から多くの人々が集う場所となっています。

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